夏の憂鬱(3)
「……もう、忘れたよそんな昔の事」
 テイトは遠い昔のように言うがオレの中では昨日のことのように鮮明に記憶に残っている。


 家族水入らずで過ごそうとオッサンは海の近くの別荘へとオレ達を連れてきた。
「祖父の時代に建てられたものだよ。風情があっていいだろう?」
 少し高台にあるこの家はたしかに年代物らしくレトロ感は溢れているが痛みや古臭さはまったくない。家もゆっくりと年を重ね、味が出たといったところか…
「ちょっと古めかしい感じが前のアパートに似てるわね〜」とお袋が懐かしそうに呟いた。
「お袋、あんなボロアパートと一緒にすんなよ!」
 さすがのオレもお袋の言動に恥ずかしくなり嗜めたが当のおっさんは「そうか! どことなくアパートに雰囲気は似てるな! だからオレ、通っちゃったのかもしれないな…」って、同調すんなよ…オレは溜息を付いた。
 オレもお袋も田舎は無いが田舎のイメージそのものだったのだろう。オレ自身この家に不思議と懐かしさを覚えた。
 家の構造を説明しながらオッサンが和室の障子を開けると庭園の木々の向こうに海が見えた。
「すげ〜!」
「いいところだろ〜! 気に入ったかフラウ?」
「気に入った! 気に入った! オレ、ここに住むよ!」
 正直、都心の豪邸よりオレはコッチの家の方が落ち着く。
「オッサン、後で海、見に行ってきていいか?」
「ああ、いいけど、あまり期待するなよ、この辺は…」
 オッサンの言ってる言葉は耳に入ってこなかった。今、視界に広がる世界がオレの全てだと、そう感じるぐらいその景色に魅入っていた。


「オッサン、海、見に行ってくる」
 オレの言葉に10歳のテイトが反応し、オレの脇に立つと服の裾を摘んだ。オッサンは嬉しそうに微笑むと「テイトも一緒に行っておいで」とテイトに笑いかけた。
 テイトはコクリと頷くと海への道を案内するようにオレの手を引いて歩き出した。
 背後のオッサンに軽く手を振るとテイトとオレは家の前の坂をゆっくりと下っていった。
「僕、あの家、嫌い」
 それまで一言も発しなかったテイトがポツリと呟いた。
「どうして?」
「怖いもん…」
 まあ、確かにテイトぐらいの子供にしてみれば怖い印象はあるだろうな。
「オレと一緒でも怖い?」
 ギュッと手を握るとテイトは嬉しそうに微笑んだ。
「…怖くない…」

 その後、オレとオッサンが友達みたいだとか、自分とも友達になれるかとかテイトがポツリポツリと発する呟きに適当に相槌を打っていると海岸にたどり着いた。
「漁村なんだな。ここ」
 コンクリートの船着き場に何艘もの漁船が繋がれていた。
 てっきりリゾートチックな砂浜をイメージしていたオレはその光景に肩を落とした。
「なぁ、ビーチはどこだ?」
 あっち、とテイトが指を刺した方向に目線を向けると遠く3km先に海の家らしき小屋が見えた。歩いて行ける距離だがテイトが一緒だ。オレは諦めて「家に戻るか?」とテイトに言うとコクッと頷いた。
 来た道を戻りながら不意にテイトが「お兄ちゃんは天使なの?」と訊いてきた。
 何故、そんな事を聞くのかと不思議に思ったが「だったらどうする?」と意地悪にも否定はしなかった。
「願いを叶えたら消えちゃうんだ…」
 どこで仕入れた知識なのか? オレの金髪で天使を想像したのだろうがどこかが違う…
「それは魔法使いじゃないのか?」
「あ、そっか…」
 テイトは素直に納得した。
「何か願い事があるのか?」
「無い。願い事したらどっか行っちゃうから」
「じゃあ、どこにも行かないようにお願いすれば」
「……」
 そんなこと思いも付かなかったとでも言いたいのだろうか? テイトは瞳を大きく見開いた。
「じゃあ、お兄ちゃん、ずっと一緒にいて」
 テイトの小さい声が発するよりも吸い込まれそうな瞳の方が強い意志を放っていた。



「フラウ、フラウっ! カストルさん呼んでる」
 テイトの呼びかけに我に返った。
「ああ、なあテイト」
 母屋へ行こうと身を翻したテイトの腕を掴んだ。
「何だよ?」
「何で家を出た? オレのせいか?」
 テイトは一瞬、驚いたように目を見開いたがすぐに逸らし「社会勉強だって言ってるだろっ」そう言うとオレの腕を振りほどいて母屋の方へ走っていった。
 後に残されたオレは「テイトに触れたのは久しぶりだな…」などと考えながらテイトを掴んだ掌を見つめた。






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