夏の憂鬱(1)
「ヤバイ、緊張してきた……。フラウ、アタシの手、握って」
「やだよ、もう、子供じゃないんだから親と手なんか繋げるか!」
「いいからっ!」
 そう言って無理やり手を握らされた。
 ギュッと握られたお袋の手は緊張からかやけに冷たかった。
 母一人子一人で14年間暮らしてきたが、遂にお袋が再婚することになった。
 ホステスをしながらオレを育てたお袋はオレが11歳の時(今から3年前)に一人の男性を家に呼んだ。
「お店のお客さんよ〜」と嬉しそうに紹介された男は『蔵院』と名乗った。
 その後ちょくちょく顔を見せるようになった蔵院のオッサンは3ヶ月後にはお袋のいい人に納まり、2年と9ヶ月後の今日、オレのオヤジになる。
 一月前、これまで自由奔放に生きてきたお袋が「フラウ、アタシ結婚するわ。あのひとを支えてくって決めたのよ」と、とある休日の昼飯時、蕎麦をすすりながら世間話でもするようにそう切り出した。オレも軽く『夕立でもきそうだな』ぐらいのニュアンスで「そう、いいんじゃねーの」と受け流した。あのひととは当然、蔵院のオッサンをさしている。あんな冴えない中年のどこがいいんだがかと正直思わなくもないが……

 1時間前、お袋と過ごしたアパートを引き払い黒塗りの高級車に乗り込んだ。
「気持ちの整理は付いてたつもりだけど、淋しいわね」
 お袋はアパートの扉を閉めるときに誰に言うでもなくボソッと呟いた。
 淋しい……確かにボロアパートだがそれなりに楽しく暮らしてきた。店ではナンバーワンホステスだと豪語しているわりに「住むところなんて雨風凌げれば十分よ」と此処に居座り続けたのだ。8世帯が入るアパートは何回か住人が入れ替わりはしたが皆顔見知りだ。見送りに顔を出してくれた住人らに「顔、見せに来るからね〜」っと、明るく手を振るお袋だったが頬は涙で濡れていた。
 それから車に揺られ1時間、今、お袋と俺は大層な屋敷のエントランスに立っている。
「なあ、お袋…蔵院のおっさんって…」
「クライン・グループの社長よ」
 おいおい、聞いてないぞそんな話ってか、お袋、なんだかんだ言って金に釣られたか?
「違うにきまってんでしょ!」
 オレの考えてることがわかったのだろう、お袋が先手を打ってきた。
「アタシだって知ったの最近なんだから、これでも半日、悩んだのよ」
「半日って、お袋、それ悩んだウチにはいんねーよ」
 オレは大げさに溜息を付いた。とてもじゃないがこんな豪邸でやっていける気がしない。

 玄関の扉が開くと蔵院のおっさんが出迎えた。
 あれほど緊張していたお袋はオッサンと視線を合わせると気持ちが落ち着いたのか一言、二言、言葉を交わすとこの家の家政婦をしているというオタケさんと奥へと消えてった。
 後に残されたオレはオッサンに文句の一つも言ってやろうとオッサンを睨み付けた。
「よう、フラウ、良く来たな」
「まったく、ただのサラリーマンじゃなかったのかよ!」
 大会社の社長と知ったところでオレはオッサンへの態度を変えるつもりはない。
「ははは。オマエのそういうとこを気に入ってるんだオレは」
 いつものようにオレの頭の上にポンっと手を乗せる。
 14歳の伸び盛りとはいえ今だ伸びきらない150cmのオレと180cmを優に超える長身のオッサン。
「オマエは大物になるよ。大人になったらオレの右腕として会社に入ってもらうからな!」
「ことわる!」
「……」
 即答のオレに苦笑しつつも嬉しそうに言葉を続ける。
「今までと勝手が違うと思うが遠慮なく自由につかってくれ」
「ああ、そうさせてもらうよ。それと…」
「それと…?」
 一瞬の間。
 お袋の結婚宣言からずっと考えていた一言を言おうとオレはオッサンの顔を見上た。
「遠慮なくオヤジって呼ばせてもらうからな」
 オレからの結婚祝いだ受け取れ! オレはニヤリと笑った。
「フラウっ」
 次の瞬間、オッサンの腕の中に納まった……いい大人がこれぐらいのことで泣くか?
 しかたなく、オッサンの感動の嵐が納まるのをじっと待った。
「……」
 オッサンの背中越しに顔の大半を占めているといっても過言ではないぐらいの吸い込まれそうな瞳と目が合った。
 そういえば10歳になる子供が居るって言ってなかったか?
「なあ、オッサン。あれ…」
「父さんって呼んで……」
 オッサンの呟きはこの際無視だが、大きな瞳に凝視され、なんだかとても居心地が悪い。
 オッサンは振り向きその子の名前を呼んだ。近くに寄ってきた子供はペコリとお辞儀をすると「は、ハロー」と言った。
「マイネーム・イズ・テイト…」
「     」
 はは。コレは大笑いだ。オレのなりを見ておそらく外国人と間違えたのだろう。
「悪いがオレは英語はしゃべれねーよ」
 ひとしきり腹を抱えて笑った後、屈んでその子と目線を合わせて言った。
「?」
「こう見えても日本人だ。母親が14年前に軽はずみな行為をした相手がどうやら外国人だったらしくて、イテッ」
 後頭部に平手打ちを食らった。
「軽はずみな行為じゃないって何べん言えば解るのよ、このバカ息子!」
 奥に消えた筈のお袋がオレの真後ろに仁王立ちで睨みつけている。傍らでオッサンが腹を抱えて笑っていた。
 お袋、そんなことは解ってるよ。コレはオレの初対面に対する捨て身の自虐ネタで…
「じゃあ、外国人じゃないの? お兄ちゃん?」
「ああ、君は女の子? それとも」
「男だよっ!」
 大きな瞳が一瞬にして険しくなった。それでも可愛らしさはこれっぽちも損なわれない。
「テイトだよ。10歳になるオレの倅だ。可愛がってくれ」
 オッサンが愛おしそうに引き寄せる。
「テイト、今日からオマエのお兄ちゃんになる人だ。仲良くするんだよ」
「僕のお兄ちゃん…?」
「フラウだ。よろしく」
 再びマジマジと見つめられた。はっきり言ってオマエの容姿の方が異常だよ。
 人間か?人形じゃないのか?



 14歳の夏のとある日。

 オレは美少女と見間違える程の美少年の


 弟ができた…






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