背中
 カペラと別れて、心の中にぽっかりと穴が空いたみたいだ。目を瞑ればカペラの笑顔しか浮かばない。
「はぁ〜」
 何度目かの溜息が零れた。フラウも何も言わずにひたすらホークザイルのハンドルを握っている。どれぐらい飛び続けただろうか? 夕日で真っ赤に染まった空間を裂くように突き進む。
「なぁ」
 それまで無言だったフラウが漸く口を開いた。
「ん?」
「背中が寒い」
 何かと思えば寒いだとっ
「何を今更、そんな薄着してるからだろーが(コートの下にシャツを着ろっ!)」
「そーだな」
 フラウが乾いた笑いと共にそう呟くからオレは仕方なくフラウの背中に身を寄せた。
 岩のように冷たい背中。腰に手を回してピタッと頬を押し当てる。
「冷てー」
「冷たくて悪かったな。だから寒いっつっただろーがっ」
 そうか、いつもオレとフラウの間にカペラが居たんだっけ……
「なぁ、フラウも淋しかったのかよ?」
「ああ」
 この大きな背中がオレと同じように空虚さを感じていたのかと思うとちょっとだけ可愛く見える。
 オレはフラウの背中に鼻先を擦り付けて含み笑いを零した。
「何だ?」
「何でもない。フラウ、暖かくなったか?」
「……ああ」
 一瞬の間。
 そりゃーカペラと比べればオレは体温が低いから仕方無い。
 少しでも温度が上がるようにギュッとしがみ付くとフラウの肩が小刻みに揺れた。
「笑うな、バカ」


手持ち無沙汰
 今夜の宿を押さえるとフラウと二人、夕飯を食べに外へ出た。石造りの壁が軒を連ねる路地をフラウと二人漫ろ歩く。日も暮れた街は淋しく行き交う人影もまばらだ。そういえばこうやって二人で出歩くのは初めてかもしれない。いつもカペラと三人だったから……。
 ふと、どちらかの手に必ずあった温もりが無性に恋しくなった。
「ミカゲおいで」
「ぴゃっ」
「あ、ミカゲっ」
 手持ち無沙汰にミカゲを抱っこしようとしたのだが逆に煙たがられてフラウの肩に移動してしまった。
「何やってんだ? オマエ?」
「べ、別に……」
「しょうがねーな。ホレ」
 フラウがぶっきらぼうに左手を差し出した。
「な、なんだよ」
「オレが繋いでやるよ」
 フラウはそう言ってニヤニヤ笑いを浮かべた。
「いらね〜」
「オレが手持ち無沙汰なんだよっ」
 フラウはそう言うと強引にオレの手を握った。
 カペラの小さい手とは全然違うゴツゴツした大きい手。恐る恐る握り返すとフラウも軽く握り返していた。
「なんか恥ずかしい……」
 小さい声で呟くとフラウも「バーカ」と呟いた。
 それ以上の会話も無く、石畳の上の落ち葉を踏みしめる音だけが辺りに響いた。
 こうして手を繋いでいるとどうも落ち着かない。だって
「恋人同士みたいだ」
「違うのかぁ〜?」
 思わず口を付いて出てしまった言葉にフラウが反応した。
「違うだろっ。司教と司教見習いだ」
 オレは慌てて否定したがフラウとのこれまでの行為はどれもこれも師弟の関係を超えているような……

 チュッ

「!!!!!」
 フラウはオレのアゴを取ると覆いかぶさってキスをした。
「な、何しやがるっ」
「気にするな、誰も見ちゃいねーよ」
 オレは前後左右に視線を向け、人が居ない事を確認するとホッと溜息をついた。それにしてもコイツっ
「それより、な。立派な恋人同士だろ?」
 オレは空いた口が塞がらずフラウは大人の余裕とでも言いたげな満足そうな笑みを浮かべた。



パンプキンパイ
 『BAR』と書かれた扉をくぐり、奥のテーブル席を陣取った。フラウは当然ビールを注文し、二人で摘めるようにとクラブサンドウィッチを注文した。
 テーブルに並んだクラブサンドは見るからに美味そうだったが口に入れるとまったく味を感じ無かった。
 いつもなら一口噛む毎に『美味しいね! お兄ちゃん』と満面の笑みを浮かべたカペラがいた。
 そっか、味が無いんじゃない、味気ないんだ。そう気付くとため息が出た。今日は一日カペラの幻影に翻弄されてる気がする。
 いったい何時まで続くのだろう……
「今日ぐらいはいいんじゃねーの?」
「え?」
「じっくりカペラの居ない淋しさを噛み締めろ。きっとカペラもオマエを恋しがって泣きべそかいてるから」
 フラウの言葉に泣きべそをかいたカペラを思い浮かべた。
 そして優しく慰める母親の姿も。
 カペラの傍には母親が居るから安心だ。
 オレの傍には……
「仕方ねぇ〜。フラウで我慢するか」
「鼻、真っ赤にして強がるなよっ」
「うるせー」
 鼻を抓んだフラウの手を払うと目の前にパイの乗っかった皿が目に入った。
「何?」
「パンプキンパイだってよ」
 そう言ってフラウは店内に貼られたポスターを指差した。
『期間限定!!当店自慢の手作りパンプキンパイ』
 パイにフォークを突き刺すと一口頬張った。
「どうだ? 美味いか?」
 口をもぐもぐさせながらコクコクと頷いた。不思議だ。さっきまで味覚を感じなかったのに口の中に甘味が広がる。
 一緒に運ばれてきたアップルティーを流し込むと漸く「美味い」と返事した。
「カペラにも食べさせたいな」
 オレは素直に思ったことを口にした。こうなったら気の済むまでカペラを恋しがるってやるっ!
「カペラはもっと美味いモン食ってるって。なんせお屋敷住まいだからな」
「そうだな」
「けど、今度カペラの顔を見に行くときはスゲーびっくりするぐらい美味いモンを土産に持ってってやるか?」
「顔見に……」
 そうだよな、カペラの居場所はわかってるんだから何時だって会いにいけるんだ。
「フラウっ」


 オマエのそう言うさりげない優しさは嫌いじゃないぞ!



淋しい。淋しい。淋しい?
 食事を終えて宿へ戻ると案内された部屋に愕然とした。
「あの〜。ツインをお願いしたハズなんですが……」
「すみません、大人二名のお客様が入りまして。申し訳ないのですが大人一名のお客様にはコチラのお部屋をお使いいただいて。もちろん宿泊代はサービスさせて頂きます。ベッドもダブルサイズなので落ちる心配は無いと思うのですが」
 そのダブルベッドが問題だって。寧ろシングルにエキストラベッド入れてもらったほうが……
「オレは構わねーぜー。お、支配人、スプリング利いてるね〜」
 フラウはズカズカと部屋へ入るとすぐさまベッドにダイブした。
「ありがとうございます。では、ごゆっくり〜。失礼します」
 支配人が申し訳なさそうにおずおずと引き上げていくとオレは溜息を突いた。
 ダブルベッドは別に嫌じゃない……。嫌じゃないけどこうもあからさまにセッティングされたら恥ずかしいじゃないかっ
「テイト、先にバスルーム使うか? ってか、オマエさっきから部屋の隅っこで直立不動なんだ?」
 フラウがニヤニヤ笑いを浮かべてこっちへ来いよと手招きした。
 オレはフラウが横になったベッドの傍へと近付いた。
「テイト顔真っ赤」
「……」
 フラウは起き上がると両手でオレの頬を挟んだ。オレは深い海を思わせるフラウのブルーの瞳をジッと見つめた。心臓がどくどくと必死に血液を循環させている。さっきまで淋しくて仕方なかったのに今はフラウと二人きりというこの状況が頭の中を支配している。カペラを頭から追いやってしまったようで後ろめたい気持ちでいっぱいだ。
「テイト……」
 オレは我慢しきれずフラウの首に抱きついた。カペラが居なくて淋しい気持ちとフラウが好きでたまらない自分がいる。
「もう、わけわかんねー」
 フラウの耳元で情けない声を上げた。
「はは、何でもいいや、オマエから懐いてくる機会はそうないからな」
 フラウはまとわり着く子供を宥めるように優しくオレの腕を首から外した。
 チュッ
 優しい触れるだけのキス。
「カペラが居なくて淋しいか?」
 コクンと頷く。そう、淋しいよとっても……
「オレもだ、テイト……」
 フラウが淋しさを滲ませた顔で「だから、慰めろ。オレを」と付け加えてニヤリと笑った。
「し、仕方ねーなー」
 そう言ってフラウの唇にキスをお返しすると「それじゃとりあえず風呂にでも入るか?」とオレを担ぎ上げた。
 嬉々として……

「なあ、本当に淋しいのか?」
 担がれたオレは抵抗するでもなく大人しくフラウにしがみ付いている。
「ああ、とっても淋しい」
 この後のことはだいたい想像が付く。


 カペラが居ない現実をこの日一番強く実感した瞬間だった。