蜜月4 甘い痛み


 カチャ。

「ふふ。フラウったら…」
「ああ、それは…」
「え?ホントに〜?」

 カチャ。チャポン。

「そうそう、それでね…」
「ははは」

 ガチャ。

「テイト。こちらのお嬢さんに飲み物をお出しして」
「……」
 相変わらず貧乏旅行をしている俺達は宿代の代わりにホテルのバーで働いている。
 こうして金を稼ぐことはオレとしては何の不満も無いが、オレが皿洗いでヤツが女の話相手というのは大いに不満だ。
 フラウの楽しみようときたら仕事というより私事にしか見えない!
「テイト、聞こえたか?飲み物!」
 まったく、オマエはホストかよ!
 オレはフラウと女の居るテーブルへミントの入った酒を置いた。
「当店おすすめのモヒートでございます」
「わ〜、綺麗な緑。ありがとう」
「ごゆっくり」
 女の方へはハクレン直伝の愛想笑いを向けフラウにはカストルさん直伝の冷ややか目線を贈った。

「テイト兄ちゃん…」
「どうした?カペラ」
 洗い場に戻ったオレは涙目のカペラに声をかけられた。
 カペラはテーブルを指さすと溜息を突いた。
 テーブルにはオレが邪念を払おうと無心で洗った皿がアルプス連峰のごとく積み上げられていた。
 どうやら片付けが追いつかない程オレは洗い続けていたらしい。
「ゴメンなカペラ。手伝うから」
 オレはカペラの頭を撫でると一緒に皿を片付け始めた。
 なんだってんだ。フラウのやつ女の子にデレデレと鼻の下を伸ばしやがって。
 (お姉さん!そいつは人の形してるけど本当はゴーストなんですよ〜)
 なんて言っても誰も信じねーな。
 オレは食器棚の上部に皿を仕舞おうとジャンプをしようとしたその時「かせ!」頭の上から声がして皿を奪われた。
「フラウ!」
「店で暴れるつもりか?こういうところは上品に行かないとな」
 そういうと次々と皿を棚へと仕舞い始めた。
「それは俺達の仕事だ。フラウは客の相手でもしてればいいだろう!」
「…何か怒ってる?テイト?」
「べ、別に…」
 ポン。フラウの掌がオレの頭に置かれた。それだけのことだが自然と気持ちが落ち着いていくのが解る。
「カペラ、眠くないか?」
「あい」
「子供は寝る時間だ。テイト、カペラを連れて部屋へ戻れ」
「けど、まだ皿が…」
「そこはアタシがやるから、あんたらはあがんな!」
 そう言いながら店の奥から宿屋の女主人が顔を出した。
「すいません。マダム」
「おやすみカペラ。ちゃんとお風呂に入るんだよ」
「あい」
「お先に上がります」
 オレは女主人に頭を下げるとカペラの手を引いて店を出た。
「ちょっとフラウ〜こっちにお酒〜」
 店の扉が閉まる瞬間、鼻から抜けるような声でフラウを呼ぶ声が耳に入った。
 きっとフラウはほいほいと女の隣に座り、そつ無く話相手になるのだろう。
「フラウのバカ!」
 急に苛立ちを覚え思わず呟いた。
「テイト兄ちゃん?」
 カペラが不安げにオレを見上げる。
「眠いかカペラ?」
「あい」
 ずっと我慢していたのだろう。カペラが珍しく疲れた表情を浮かべた。
「ごめんな。お兄ちゃんも少し疲れたみたいだ」
「テイト兄ちゃん大丈夫?ボクに直せる?」
 カペラはそういうと掌から小さくて丸いザイフォンを出した。
 今のカペラにはそれだけのザイフォンを出すだけでも体力を消耗するだろう。オレはあわててカペラを抱きしめた。
「ありがとうカペラ。今ので直ったみたいだ!」
「ホントに?」
「ああ。兄ちゃんはすっかり元気だ!」
「えへへ」
 カペラが照れたような笑みを零した。
 ホントだよカペラ。オマエの笑顔で十分癒される。
「よし、風呂に入って寝るぞ〜!」
「あい!」
 オレはカペラを抱き上げるとホテルの廊下を走り出した。
 そうだこの苛々は睡眠不足から来るんだ、きっと!
 フラウが女とこの後どうなろうが知ったこっちゃない!
 …ホントに…?



 カラン。シャー。
 浴室から漏れる水音でオレは目が覚めた。
 フラウ、帰ってきたのか?
 オレはもそもそとベッドから出ると浴室の扉を開けた。
「フラウ?」
「あ〜?なんだ、クソガキ?覗きか?いい趣味してんな!」
「ばか、違う!」
「違わねーだろ」
 バスタブのカーテンが開きフラウの腕がオレへと伸びてきて難無くオレを捕らえる。
「バカ!止めろ。濡れちまう」
 シャワーの栓は開いたままでオレは頭からずぶ濡れになった。
「気にするな、後でオレのシャツを貸してやる」
「そういう問題じゃね〜。バカ!」
「じゃあ、どういう問題だ?」
「……」
「テイト?」
 濡れた衣服は直にフラウの存在を伝える。背後から抱きしめられオレは大人しく身を預けた。
「なあフラウ」
「ん?」
「なんでオレとこういうことするの?」
 店でフラウの隣に座っていた女は熱っぽい視線をフラウに送っていた。
「わからないのか?なら、オマエはどうなんだ?」
「オレ?」
 オレもあの女のような目でフラウを見てるのだろうか?
 物欲しそうな目で…
「嫌だ…」
 自分が汚い人間のような気がして嫌悪感が込み上げる。
 別にフラウを見つめる女を汚らわしいとは思っていない。けど、自分のこの感情は汚れている。
「何が嫌なんだ?」
「同じじゃ嫌だ…」
「ん?」
「そう思う自分が嫌なんだ…」
「なんだ、そりゃ?」
 フラウはクスクスと笑いながらオレを宥めるように指を這わせた。
 濡れた服はわずかに反応を示し始める。体はホントに正直だ…
「オレは汚れてる…」
「バカだなオマエは。汚れてねー人間なんてこの世にゃいねーよ。人は欲の塊だ。オレも含めてな」
「……フラウは人じゃない…」
「ああ、けど心はある。オレはお前以上に汚れているよ」
「そんなことない!」
 オレはフラウから離れようと体をよじった。
「オレはそういうウジウジしたヤツは大嫌いだ。ハッキリ言えテイト!素直なところがオマエのいいところだろ?」
「…オレだけにしろよ」
「何をだ?」
「こういうこと…」
 オレはフラウに向き直り首に飛びつくと唇を奪った。
 フラウの唇の端が笑った気がした。
「いいこだ」
 口付けは激しくなり全身の力が抜ける。なのに中心だけはその存在を主張している。
「ん…フラウっ」
 這い回るフラウの指いは肝心なところに刺激を与えてくれない。
 絶えられなくなったオレは仕方なく自分の手を回そうとするとフラウに掴まれた。
「だめだテイト。それはオレの獲物だ」
 フラウがニヤリと笑う。
「だったら早く…」
「もう少し我慢しろ」
「なん…で…?」
 フラウの指が体の奥を探り始めた。
「ダメだフラウっ!声が…」
 今だって音が浴室に反響しているのにこれ以上の声を挙げるわけにはいかない。それなのにフラウは取り合おうとせず、指を忍ばせた。
「もう、ダメだって…」
 オレの意に反して指は無理なく奥へと飲み込まれていく。
「何で?」
「石鹸って便利だな…」
「な、フラウバカっ」
 応えるかわりにフラウは奥に埋まった指を動かす。
「アッ…!」
 オレはあっけなく達してしまった。
「あ〜あ、我慢しろっていっただろうが!」
「無理、言うなよ…」
「まさかこれで終わりだと思ってねーだろうな〜?」
「え?違うの?」
 自分の欲望を吐き出して色々な意味でスッキリしたオレは濡れたシャツを脱ぎ捨て軽くシャワーを浴びてさっさとベッドに戻りたいのだが…
「オマエな〜自分だけすっきりした顔しやがって」
「あっ…」
 フラウの腕が再び体に絡みつく。やっぱりダメか?



「やっぱ浴室最高!」
「……」
 フラウはご機嫌で湯船に浸かっている。膝の上にオレを乗せて…。
 オレは体力も精神力も消耗しきってぐったりだ。
「数え切れない煩悩もオマエの青臭い精液もみ〜んな排水溝に流れていくぜ」
「ぶっ!精液とか言うな、バカっ!」
「ははっ」
 カチャッ
「!!!!!」
「!!!!!」
 浴室の扉から寝ぼけ眼のカペラが目を擦りながら入ってきた。
「カ、カペラ!」
「テイト兄ちゃん、またお風呂?フラウ兄ちゃん、帰ってきたの?」
「おう、カペラただいま!オマエもお風呂入るか?」
「カ、カペラ!早く寝ような〜兄ちゃんはちょっとトイレに起きただけだから…」
 オレはフラウを踏みつけてバスタブから出るとタオルを体に巻きつけた。
「ん…お兄ちゃんなんで裸?」
「バ、バスタブで転んだんだ」
 カペラ頼む、それ以上の質問はナシな…
「明日はボクもお兄ちゃん達と一緒にお風呂に入る!」
 カペラはちょっとむくれた顔をして言った。どうやら自分をのけ者にしたことを怒っているらしい。
 泣きそうな顔のカペラの頭をフラウが優しく撫でる。
「ああ、カペラ、明日はみんなでお風呂に入ろうな!ホラ、マダムがオマエにってこれくれたぞ」
 そう言うとフラウはカペラにアヒルを差し出した。
「わ〜い、ありがとう!」
 瞬く間にカペラの顔に笑みが広がる。
 その瞬間、オレの胸の中にチクリと痛みが走る。
 カペラに言えないフラウとの関係は自分の中の闇の部分だが今のオレはそれを素直に受け入れられる。

 『清らかな人間なんてこの世に存在しない。多かれ少なかれ心の中に闇を持っているのさ』
 そう言ったフラウの顔はどこか淋しげだった。





Fin