夕立
『海に来いよ』
 言われなくても行くつもりだったのに来いと言われると寧ろ行きづらくなる。
 テイトは離れの和室で本を片手にゴロゴロと時間を潰していたがこの数時間、目が文字を追うことはなかった。
「ああ、もう」
 テイトはパーカーを羽織ると部屋を出た。カペラに声をかけようと母屋の居間を覗いたのだが母親と並んですやすやと気持ち良さそうに寝ていた。わざわざ起こすのも気が惹けてテイトは仕方なく、ビーチサンダルを履くと一人海へと続く坂道を駆け下りた。
 どうせ、行っても一時間ぐらいしか泳げないな……
 テイトが空を見上げると東の空ににょきにょきと入道雲が張り出していた。


 夏休みとはいえ、平日の海は休日のそれと比べると人も少ない。おそらく地元の子供達だろう、パラソルも立てず、至る所にビニールの袋だけがポツンと砂浜に放置されていた。
 テイトはフラウの居る監視台の下まで来るとパーカーを脱いだ。
「よおーテイト! カペラはどうした」
 案の定、頭上から声が降ってくる。
「母さんと昼寝中。パーカーここに置いといていい?」
 テイトはそれだけ言うとフラウの返事を待たずに海へと駆け出した。もう、一分でも傍にいると血液の大半が顔に集中しそうだ。
 ゆっくりと水底を泳ぎ推進3mぐらいのところで水面を見上げた。太陽の光が水面を照らしてキラキラと輝く様を見ているとまるで別世界だ。でも、そんな光景をここ以外で見たことがあるような、どこか懐かしいような気持ちになる。テイトはどこだろうと記憶を探るもここ以外で泳ぐといったら学校のプールぐらいで他には思い当たらない。
 とっても大事な何かを忘れているようで思い出そうと努力をするも一向に思い出せず、切なさが込み上げるだけだった。
 息が続くまで潜るを何回か繰り返しテイトは砂浜へと上がった。
「さっきから何やってんだ?」
 監視台の脇にちょこんと腰を降ろすとフラウが声をかけてきた。
「別に……」
 テイトは膝を抱えると海を眺めた。
「一雨着そうだな」
 フラウの言葉に暗くなり始めた空を見上げたそのとき、雨粒がポツンとテイトの顔に当たった。
 ピピーッ
 監視員らの笛がビーチに響き海から子供達が引き上げてきた。
「テイト、すぐ終わるから待ってろ」
 フラウはそう言うとテイトの傍から離れて行ってしまった。
「一応、ちゃんとバイトしてんだな」
 クスリと笑うと自分もパーカーを羽織り歩き出した。
 フラウは待ってろと言ったが別荘はすぐそこだし、わざわざ一緒に帰らなくても、待ってれば本降りになりそうだし、何よりフラウと二人っきりなんて考えただけでも赤面物だ。一緒に居たいと思うのにいざ二人きりになると何を話せばいいのかわからない。
 テイトは足早に海岸出口へと向かった。
「待ってろって言っただろうが!」
「あ……早かったな」
 結局出口手前でフラウに追いつかれた。
「すぐ、終わるっつっただろっ! やべー早くも本降りだ」
 大きな雨粒が肌に刺さるように降り注ぐ。
「そこで、雨脚が弱くなるのを待つか?」
 フラウの指した方向に倉庫が立ち並んでいる。フラウに連れられるままテイトは倉庫の軒下に入り込んだ。
「どうせ水着だしこのまま別荘まで走ってもいいのに」
「バーカ、せっかく二人きりになるチャンスを逃すかっての」
 そう言うとフラウはニヤリと笑った。途端に赤面し、テイトは慌ててフラウから顔を背けた。
「なぁ、何ですぐそうやってそっぽ向くんだ?」
「べ、別に……」
「やっぱ、嫌いか? オレのこと?」
 フラウの声のトーンが低くなった。
「別に嫌いじゃ……」
「じゃぁ、こっち向いて」
 フラウはテイトの肩を掴み強引に顔を向かせると耳まで真っ赤にしたテイトの目を覗き込んだ。
「フラウ……離せ」
「テイト、顔真っ赤」
「煩いっ!」
「やっぱ、可愛いなぁ」
 ニヤニヤ笑いを浮かべたフラウの目を睨みつけたがまったく効果無し。
「なあ、キスしていい?」
「だ、ダメだ!」
「なんで?」
「……」
「じゃ、強引にー」
 フラウの唇が近付くとテイトは全力で阻止しようと躍起になった。
「手ごわいな〜」
 フラウは溜息を突くといじけたようにその場にしゃがみこんだ。ボーっと雨粒が跳ね上がる海を見つめる。
 テイトも同じように腰を降ろすと海を眺めた。
 雨は止むどころか雨脚が弱まる気配もない。一層強くなり海面を豪快に叩きつけている。おそらく1m先の視界もままならないだろう。
 これでは当分この場を動けそうもない。気まずい空気が流れる中、テイトはフラウに自分の思いをちゃんと伝えようと口を開いた。
「フラウ、オレ……本当に嫌いじゃないから」
「わかってるよ」
 クスリと笑った。
「もう、この状況だけでいっぱい、いっぱいで……」
「だから、わかってるって」
 フラウはテイトの頭を引き寄せると額にキスをした。
「わっフラウっ」
 驚いたテイトが額を押さえて顔を上げた。
「これぐらいいいだろ?」
 フラウはしてやったりの笑顔を浮かべると片目を瞑った。
「うxxxxxx」
 テイトは再び顔を背けると膝頭に顔を埋めた。
「テイト、拗ねるなよ」
 フラウの掌がテイトの頭を撫で擦る。
「ああ、もう、ウザイっ」
 そう言うとその手を払いのけた。
「ウザイって言われるのも段々快感になってきた」
「きめぇー」
「それは酷いな」
「はは」
「はは」
「なぁ、キスしても(いいか)」
「ぜってぇダメ」
 再び攻防戦が始まりそうこうしている間に気が付くと雨脚が弱くなっていた。
「あ、雨……」
「帰るか?」
「ああ」
 テイトが立ち上がるとフラウが起こせとばかりに手を伸ばした。
「自分で立てよ」
 そう言いながらもフラウの手を取る。
「なあ、このまま手繋いでくか?」
「やだよ」
 テイトは素早くフラウの手を離した。
「いいじゃねえか」
「やだって、恥ずかしい!」

 二人は手を繋ぐ、繋がないと言い合いながら別荘へと続く坂を上り始めた。


 互いの事しか見えてない二人は雨が上がったことも、西の空に綺麗な虹が掛かった事も気付かなかった。
 海から山側へと大きく掛かった虹は結局、二人に気付かれることなく消えていった。





END


<<< Text TOP <<< Text menu <<< Event