金木犀
「いい匂い」
テイトはどこからか漂ってくる甘い香りにくんっと鼻を動かした。甘くて優しい香り……
「キンモクセイだよ!」
そう言ってカペラがテイトの横で満面の笑みを浮かべていた。
「きんもくせい?」
テイトが聞き返すとカペラは大きく頷いた。
「キンモクセイって花だよテイト兄ちゃん。母ちゃんが教えてくれた! 僕、この花の匂いダイスキ!」
『ダイスキ』の言葉と共に見せる笑顔に、テイトはカペラと未だ会った事の無いカペラの母親の姿を想像した。仲良く木の下で微笑み合う親子……そして、その幸せな光景に自分をそっと嵌めこんでみる。母親との思い出なんて無いけれど、もしも自分に母親がいて、一緒にこの匂いを嗅いだらきっとそれは優しい思い出になっただろう。今のカペラのように……
「とてもいい匂いだね」
テイトはそう言ってカペラに微笑みかけると「あい!」と元気な笑顔を見せた。
「昨日までは全然しなかったのにな……」
それとも気付かなかっただけだろうか? テイトが首を傾げるとようやくフラウが口を開いた。
「金木犀は秋のとある日に一斉に咲き出すんだ。昨日はどこにも咲いて無かったんだろう」
「へーえー、そうなんだ。フラウってば意外と物知りだな!……イテッ!」
フラウが花の事を知っているとは珍しいこともあるものだと、大げさに驚いてみせたテイトの額をフラウがコツンと小突いた。
「どうせラブの受け売りだ!」
「だと思った!」
テイトはばつが悪そうに頭を掻くフラウがおかしくてクスクスと笑った。照れるフラウは珍しい。
「笑うな」
フラウの大きな掌がテイトの頭に乗っかるとガシガシと撫でた。
「やめろって……」
フラウの手を払い除けようと顔を上げたテイトは見下ろす優しい視線とぶつかった。
「何?」
テイトが訝しげに呟くとフラウは片方の口の端を上げてニヤリと笑った。
「オレとオマエの金木犀の思い出」
「な、何言ってんのっ」
思い出とかって……恥ずかしいっ……
恥ずかしいけど、少しだけ嬉しい……
テイトは赤くなった頬を見せまいとフラウから顔を背けた。
「あれだ!」
突然カペラが声を上げてオレンジ色の小花を付けた一本の木の前に走り寄った。
ここら辺一帯の香りの源になっている木なのだろう。本来、金木犀はそれほど大きく育たないのだが、この木は通常のものより2倍近く大きい。
「大きな金木犀だな」
フラウも近付くと大木を見上げた。
テイトは花の香りをおもいっきり吸い込もうと両手を広げて深呼吸した。それに習うようにカペラも同じ様に息をした。
「いい匂い」
テイトとカペラは互いに顔を見合わせ、くすくすと笑い合うともう一度、深呼吸した。
幸せな気持ちになる甘い、甘い、香り。
「オレ、この匂いが一番好きだっ」
「僕も!」
「ぶるぴゃっ」
テイトとカペラ、それとミカゲが木の下で幸せそうに微笑み合っていると、フラウが「そうか?」と呟いた。
「何?」
「オレはあの匂いのが好きだけど」
そう言ってニヤニヤ笑いながらフラウが指し示した方向へテイトとカペラは目を向けた。
「あっ!」
見るとそこには焼き栗屋の屋台がもくもくと煙を上げていた。
テイト達の横を紙に包んだホクホクの焼き栗を手にした子供が通り過ぎると、後には甘くて香ばしい匂いが残った。
「ぐるるる」
途端にテイトとカペラの腹の音が響き、フラウがその音に噴出した。
「さてと……、オレは栗でも食べて暖まるとしようか」
「オ、オレもっ!」
「僕も!」
「ぶるぴゃっ!」
フラウが屋台を目指して歩き出すとテイトとカペラも後を追いかけた。
「オマエラ、やっぱり花より団子か」
フラウは自分の後ろを付いて歩く二人と一匹にそう言って笑うとテイトが眉を潜めた。
「フラウ、団子じゃなくて栗だろ?」
END
※甘栗食べたい……