外は寒くて、本当に死ぬほど寒くて、バスタブに溜めた湯の中に入ってようやくホッとした。
湯船に浸かる前にフラウと先に入る入らないで揉めたけど、オレはフラウを一刻も早く暖めたかったからフラウの「一緒に入ればいいだろう」の一言で結局一緒に浸かっている。
「オレはそもそも人じゃねーんだよ。オマエの方がマジで死ぬぞ」
フラウはそう言って意地悪げにニヤリと笑った。
「分かってるよ」
フラウがゴーストだってわかってる。わかってるけど……
少しぬるくなった湯に熱めの湯を足そうと蛇口を捻った。熱い湯が湯船に注ぎこまれると同時にどぼどぼと零れていく。その様をぼんやりと見つめながら「でも死なないで」って呟いた。そう言ってオレの目から涙が零れた。フラウからは見えない。たぶん。
気持ち的にはどぼどぼと零れていくこのお湯ぐらい泣きたかったけど、実際には一粒の涙が頬を伝って湯船の中にぽたっと落ちただけ。そしてオレの涙は湯船の湯と一緒にどぼどぼと湯船から零れて排水溝へと流れていった。
雪と涙と排水溝
カペラの規則正しい寝息が始まるとオレはベッドを抜け出した。この寒空の下、狩りにでかけたフラウが心配でとてもじゃないが寝付けない。
様子だけでも確認しようと外に出ると一面銀世界で真夜中過ぎだというのに月光が雪に反射して仄かに明るかった。夕方頃まで吹雪いていた雪はどうやら止んだらしい。この程度の気温ならフラウも凍ることはないだろう。部屋に戻ろうか、と思ったがついつい雪に魅せられて一歩、二歩と外に踏み出していた。
サクッサクッと、まだ積もって間もない雪の上に自分の足跡を残す。その行為がちょっと楽しくなったオレは散歩ついでにフラウを探してやることにした。
宿の前の通りの反対側にある見晴らしの良い広場もまだ誰にも踏み荒らされてない。視界一杯に雪野原が広がって、っと、広場の中央に大きな人型がくっきりと浮かび上がっている。
「フラウっ」
オレは慌てて駆け寄った。
フラウは目を瞑ったまま大の字で寝転がっている。周りが雪じゃなかったら普通に寝ているだけに見えただろうけどこれじゃまるで行き倒れた死体だ。
雪の上に静かに横たわる死体。
自分の世界からフラウが消えてしまったような錯覚を起こし、悲鳴を上げそうになった。そうじゃない、ショックのあまり声が出なかったんだ。オレ自身が一番恐れていること、自分が死ぬとかフェアローレンに魂を喰われるとか、そんなことが怖いんじゃない。
オレが一番怖いのは
「よう、クソガキ」
寝転がったままフラウが「よぉ!」と片手を挙げた。
「何が『よぉ!』だ、びっくりさせんなっ!」
そう怒鳴るとフラウの挙げた手をバシッと叩き落とした。今が深夜じゃなかったら、フラウが目の前に居なかったらオレは大声を上げて泣きじゃくったかもしれない。今にも目から零れそうな涙をぐっと堪えた。動揺したせいで体が微かに震えている。
「まったく、何でこんなとこで寝てんだよ」
いつもの調子で強がって言ったが声は微かに上ずった。
「雪が暖かいんだよ」
フラウは再び目を閉じて静かな声で囁いた。
「はぁ? 冷たいの間違いだろっ」
オレはそう言いながら心の中では「フラウ、目を開けてオレを見ろよ」と呟いた。
「寝てるのか?フラウ?」
横たわるフラウに馬乗りになって肩を揺さぶるとフラウは「起きてるって」と笑って答えた。良かった生きてた……
「フラウ、冷たい」
冷え切ったフラウの体は氷のように冷たくて「これなら雪だってそりゃー暖かく感じるだろうよ」とオレはぼそぼそとぼやきながら冷え切ったフラウの上に寝そべった。オレもフラウの上で目を瞑り、体温はどんどんフラウに奪われて、でもオレの体温だけじゃ全然足りないからやっぱり部屋に戻らないと、ってぼんやりと考えた。
寒さで麻痺したオレはフラウの居ない世界の妄想に囚われてどんどん思考が深みに嵌る。で、自分の妄想で泣きたくなった……
そのうちオレも雪が暖かいって感じるようになるかもしれない。それでも別にいい。だって……
フラウが存在しない世界。そんな世界ならオレは要らない。
「オマエ、凍るぞ」
フラウが心配そうにオレの顔を覗き込んだ。やっとフラウが目を開けた。
「うん。麻痺してきたみたい」
「バカッ」
突然、フラウがそう言って起き上がると舌打ちし、慌ててオレを担ぎ上げた。
バカって、そもそもフラウがこんなところで寝転がってるのが悪いんだろ! しかも舌打ち? オレがどれほど不安になったと思っているんだ。
担がれたオレはそのままフラウにしがみ付き、冷え切ったオレの体よりももっと冷たいフラウのことを思って切なくなった。
どぼどぼどぼどぼ……
「テイト?」
フラウに呼ばれて顔を上げる。
「なんで泣いてんだ?」
「わなんね〜」
絶えず湯が流れ落ち、排水溝へと飲み込まれていく。オレの大粒の涙も一緒に。
なんで、泣きたいのか自分でも分からない。フラウがゴーストだってことも分かってるし凍っても死にはしないってのも分かってる。分かってるのに分からない。
「泣くなよテイト」
そう囁きながらフラウの大きな掌が優しく頭を撫でる。フラウが優しいから返って涙が止まらない。
あの時、雪の中で横たわるをフラウを見て自分が何を恐れているのかはっきりと分かった。
ミカゲを失って、これ以上失うものなんて何もないと思ってたのに
フラウを失う事が一番怖いんだって
気付いてしまった
「テイトありがとな」
唐突にフラウが「ありがとう」と言った。
「? なんで、ありがとうなんだよ?」
「そりゃ、オマエが泣くほどオレのことが好きなんだろうな〜と思って」
「っ違……」
「違うのか?」
「違……」
フラウが嘘くさい淋しそうな顔をするから「違くない」って言おうとしたけど止めた。
「なあ、テイト」
オレの名前を耳元で囁き、湯船で人肌ぐらいまで温まった腕を絡ませてくる。
「てっとり早く温まる方法があるぞ!」
フラウはそう言いながらオレをギュウッと抱きしめると額にキスをした。その方法なら大体検討は付いている。
フラウの唇がオレの額から頬へと下りてきた。頭の上でキュッと蛇口を捻る音がしてどぼどぼと湯船から湯が零れる音とゴーと排水溝に吸い込まれる音が止んだ。音のない浴室は異空間のようでまさにオレとフラウの二人きり。
唇を塞がれるのと同時にフラウの首に腕を回す。暖かい体。フラウの体温は偽りだけど、暖かいとホッとする。
泣くほどフラウのことが好きなオレはその先を即すように一層強く抱きしめた。
END
※寒かったんです。とても……暗くてすみませんっ